208

1208

僕は彼の話を書こう。7月になくなった彼の話を。
連絡が来たのは7月も終わりに近い日曜の午前中で、僕はそれから終日のバイトに行く予定だったので、お店の人に話してランチだけ出勤して通夜に行った。たった一行で済んだが、2年分ぐらいの心労だった。近くに住んでる彼女の実家から、彼女のお父さんのスーツを借りて、彼女の運転する車で斎場まで連れて行ってもらった。もう何も出来なかった。
彼は僕と大学一年からの付き合いで、大学で最初に出来た友達だったし、結局最後まで一番仲の良い友達だった。つまり彼がいなくなったことで、僕は生涯で一番の友達を失ったことになる。信じられないことだが、あれからもう5ヶ月が経とうとしている。
一番の友達とは言っても、彼は僕の2歳年下だったので、実質僕の方が少し彼に対して威張っていた。少しではなく、随分だったかもしれない。僕は彼より多くの種類の音楽を知っていたので(或いはそう思い込んでいたので)、彼にあれやこれやと音楽を聴かせた。彼はそのいちいちに反応しては、CDを次々増やしていった。
僕らは美大に通っていたので、卒業する時には作品をガッツリ出さなくてはならない。僕は大きめのポップでコンセプチュアルなインスタレーションを作り、彼は大きめの油絵を2点出した。僕の作品は賞候補に上がったが(その賞は「優秀賞」と言って、130名強の生徒から4人だけ選ばれる)最終段階で洩れ、研究室賞という次点を受けた。一方の彼はといえば、正にその「優秀賞」を受賞した。今から思い出そうとすると、その時の僕は不思議なくらい嫉妬を感じなかったような気がするのだが、でも実際にはわからない。何せ僕は初めて本気で総てのアイディアと力を注ぎ込み、その結果自分がどれだけ貧困な存在であるかを思い知ったほどに頑張ったのだから。でもとにかく、彼は優秀賞で僕は研究室賞だった。そして二人とも大学院は受けずに、それぞれ適当な方向へ流れた。
僕らは卒業してからも結構近くに住んでいた。だから、事あるごとに互いの家へ出向いて酒を飲んだ。僕らは学生の頃からそうして飲んだが、そのペースが少し落ちる以外はしばらく変わらない感じだった。
でもいつからか、付き合い方は薄くなってくる。それぞれが、それぞれの共有されない困難を抱え始めるからだ。普通だ。あまりにも普通すぎる。僕らはそれぞれの困難をそれぞれに処理しながら、ビールを飲むのも年に数回程度になるほど変わっていった。
僕も彼も小説の中の人物ではないから、日々何かしらの事件があるわけではなかった。たまに会って酒を飲んで近況を報告したところで、芳しい話題が提供できるわけでもなかった。出てくるのは、昔聞いた音楽家が今はどうしているか、昔読んだ小説家の本を今は読んでいるか、最近買ったCDは何か(「あまり良くなかった」「そう」)、仕事はどんな調子か(「つまらない」「そう」)、冴えない人たちの冴えない時間。
1年が経ち、2年が降る。24だった僕は29になった。22だった彼は26になった。僕が2,3キロ程新宿寄りに引っ越して、まだ自転車で行き来できる距離ではあったが、それでも付き合いが随分なくなった。時々近況を電話で話したが、会うには至らなかった。お互い忙しかったのだ。彼はラーメン屋に通う趣味を極め、やがて飽きた。僕はペンキ屋の仕事がなくなり、近くのレストランでバイトを始めた。年に3回でも会えればいい方だった。
年が明けて春が過ぎ、僕は30になった。彼は27だった。僕らの年の差は、2歳になったり3歳になったりした。連絡を取って、久しぶりに飲むことにした。僕らはそれぞれの冴えない人生の中で、自分たちにしかわからない大きな苦難を乗り越えたり敗れたりしていた。小さくて目立たないけれど、明らかに残った傷もあった。いつものようにビールを飲みながら、それをあまりうまいとも思えないまま、ダラダラと話した。お腹がいっぱいだった。以前なら、もっと飲めたのにと思った。まだ30だったけど、まだ27だったけど、僕らは十分疲れていた。疲れながら、あまり良いと思えない音楽を、すでに飽きているのに惰性で聴いていた。時間だけがビュンビュンと耳元を過ぎていた。僕らは酒を飲むと、4時過ぎまで飲んで別れた。
ところで僕にはもう一人だけ、友達と呼べる人がいた。それは予備校の頃からの知り合いで、最初は彼が現役で大学に入るまでの本当に短い時間しか付き合いがなかったのだけど、その後僕がペンキ屋のアルバイトをしてる時にたまたま「現場」で遭遇して、それから付き合いが再開した人だった。その人は大学に入った当初からうまの合う女友達がいて、見たところ彼女と付き合いたいと思っているようだったが、再会した時にはもう(まだ)付き合っていた。僕はその人とその彼女と時々酒を飲んだ。僕はその人を数少ない友達の一人だと思った。
でも正直に言って、それは彼との間にあったほどの強い繋がりではなかった。そのことを、僕は彼が死んでから初めて知った。それは勿論、人間性の優劣とかそういった話ではない。でも少なくとも僕は、彼を失ったことによって、どうやら一番の友達を亡くしてしまったようだった。
村上春樹の『ノルウェイの森』で、主人公が愛する女性を亡くして感傷の旅に出る場面があるが、僕はこの場面を何度も読み返した。そこで描かれている場面は、猛烈な憐憫に満ちている。石川忠司による『現代小説のレッスン』でも似たような指摘があるが(P110)、おそらくこんなことは実際にはほとんどない。ないが、このような心情は間違いなくあるし、ある種の人々にはこの手の場面が必要なのだ。当時の僕はたったの3日ぐらいだけ、深い穴に叩き落されたようだった。顔を上げれば彼の顔を思い出した。音楽を聴くことは彼に直結したのでまったく聴けなかった。ふとした弾みで胸を何かが突き上げて、具体的に痛くなった。それが続いた。わからないことについていつまでも考えた。痛みには耐えるしかなかった。頭を低く下げて、大風が過ぎるのをただ待つように。
CDを作ろうと思うのだけど、と彼の彼女から聞いたのはそれからしばらくしてからで、彼が生前作っては溜めていた音楽を集めてCDの形で友人に配りたいのだと言った。僕はそれを今手伝っている。ライナーも書く予定だ。でも、一体何を書けば?それがわからないから僕はこれを書いている。ライナーに書かれることは、僕が考えていることのほんの一部になるだろう。だから、裾野である「僕が考えていること」をなるべく広げておかなくてはならない。僕はいくつもの過去を確認する。彼と何を話し、何を飲み(ビールだ)、何を食べたのか。何を聴いて、何を聞いて、何を訊いて、何を見て、何をしたのか。これは、何かの残務処理なのだろうか。或いはそれとは別の、何か。