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ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫)糸井重里の「ほぼ日http://www.1101.com/」トップの『今日のダーリン』は毎日毎日間違いなく更新されていてしかも毎度それなりに面白いので凄い。そこらのブロガーではまず太刀打ちできない凄さだと思う。一言に「凄さ」と言っても何のことだが自分でもわからないが、いろいろな意味で凄いので「凄さ」と言ってしまいたい。でも敢えて言えば、1)まず読みやすくって、2)どんな小さなことでもいいが何か新たな発見・情報を読み手に提示している、という面白さだろうか。
今日は昨日と似ていて昨日じゃない。と歌ったのはスチャダラパーだろうか。スチャダラはロッキン・オン・ジャパンのロックT-shirt写真(恒例の、ヒロミックスが撮るやつ)を「僕らがやってるのはヒップホップでロックじゃないから」と断ったから「歌う」というのは違うだろうか。ともあれ今日は昨日じゃないってことだ。毎日毎日、誰に頼まれているわけでもないのに馴染みのブログをつい閲覧してしまうのは、今日が昨日じゃないって事を確認して安心したいからじゃないだろうか。勿論、そこで書かれている事が(たとえ毎日の更新であろうと)酷く滅入る内容ばかりでは駄目で、要は気持をリフレッシュしたいということなのだから、まずは1)たった数行でも更新されていて尚且つ、2)ちょっと気の利いたことが書いてある、ということがその際には大切なのだ。そうだな、その上さらに面白そうな本や音楽が紹介されていて、読み手の世界が広がるような可能性を夢見させて、さらにさらにその見栄えがカッコよくて読んでいるだけで自分もカッコよくなってしまっているようなやはり夢を見させてくれるものだとより良いかもしれない。
シネマ坊主2最近読んでいる松本人志著『シネマ坊主2』の中で著者はライアン・オニールの『ペーパー・ムーン』を絶賛しているのだけれど、そこで彼が言うのは

 本来、映画とは『ペーパー・ムーン』みたいなものであるべきだと思うんです。つまり、2時間の上映時間の間、時間を忘れて本当にいい気持になって、見終わったあと、見る前よりも気分が高揚したり、穏やかになったり、いい方向で変化をもたらしてくれるもの。見たことで、いい時間を手に入れたと思わせるものじゃないといけない。

ということで、これはウッディ・アレンの『カイロの紫のバラ』の冒頭で提示される、ミア・ファローが映画に求めているものと同じだ。
限られた結構酷いこの世界で、人は、というか僕は夢を見る必要がある。鬱屈した日々と、本当はそれほど嫌な奴ではない誰かを想像の中で真っ黒な悪魔として仕立ててしまう負の想像力に恵まれその効能に彩られた自分の素晴らしく渇いた世界を少しでも潤したくて僕はなんかそういうのを見るし、それを叶える糸井重里は凄い。