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二十歳の躁

昔々あるところに、私がいました。
私は予備校生で、もう2浪でした。20になってもまだ大学生になれないで、かといって別の道を模索するでもなく、両親の援助を受けて日々油絵を描きながら、なぜだかある日、躁に入りました。といっても、病気というほど大きな症状もなく、これといって他人に迷惑をかけるのでもなく、考えようによっては「ただ幸せなだけ」の状態で、実際私はそう思っていました。どうしてそうなったのか、いろいろな理由が考えられましたが、中でもわかりやすいもののひとつに、モーリー・ロバートソンのラジオを聴いたことがありました。モーリーの繰り出す様々な発言はどれも結局のところ、「何でも出来るんだ」ということを言っているようで、20の多感な私はそれに身も心も浸っていたようでした。
ある夜いつものようにモーリーのラジオを聴いていると、こんな話がされました(大意)。

来る1995年9月2日、BOX東中野トーク・ライブを行います。君たちが来るのを、僕は待っている。

私は自分が呼ばれているのだと思いました。そして、何もかもぶち壊してあげよう、と思いました。勿論、誰かを傷つけるということではありません。でも何らかの形で私はモーリーと直接的なコンタクトを取れると感じましたし、それはモーリーが少なからず驚くような仕方で成されるべきだと考えました。
当日、私は雪駄を履いて会場へ向かいました。随分早く着いたつもりでしたが、地下にある受付からは既に待っている人の行列が伸びていて、私もその最後尾へ並びました。とても暑い日で、階段に座って待つのも、すぐ側に並んでいる肥った人の匂いも不快でしたが、モーリーと出会い、また彼を驚かせることを思えば苦痛は和らぎました。それはケネス・アンガーの特集上映で、トーク・ライブは最終上映後に行われることになっていました。開場と同時に私は最前列の席に飛び込みました。とても良い席が取れたと思いました。上映が始まり、上映が終わると、改めてトークだけを聞きにきた客が入ってきました。ほどなく席は埋まり、特設席として、私の座る最前列席の前にさらに2列、座布団が敷かれました。私は不安になりました。”出来るだろうか”と思いました。ケネス・アンガーが何をしたかったのかはわかりませんでした。
しばらくすると、ドトールカップを持ったモーリーが入ってきました。私は興奮しました。彼は喋り始めました。「近くにドトールがあれば、どこへでも喋りに行く」と言いました。本題に入る前に、それは成されなければならないと思い、皆がひと言もその言葉を聞き漏らすまいと会場を静寂に染める中、私は席を立ち、前2列の座布団に座る人々をかき分けて歩き、モーリーの前に立ちました。座布団に座る人たちは、私をスタッフか何かだと思ったかもしれません。
私は何も、煮えたぎった味噌汁を彼の頭からかけるとか、自作のノイズ・ミュージックを突然演奏するとか、ドラゴン(花火)に火をつけるとか、そんな奇抜なことをしようと思ったわけではなく、ただ彼と握手をしたかったのです。ただその環境として、終演後などの言わば”オフの状況”は相応しくないと考えました。それは、奇抜な状況におけるノーマルな申し出としてなければならなかったし、そうでなければ面白く(相応しく)なかったのです。そしてその為に私は、正にそのライブの最中に彼の前に立ち、無言で手を差し出したのでした。
彼は一瞬驚いた様子でしたが、握手に応じ、持っていたマイクまで差し出しました。それは私の予想していたことだったので、大変緊張しましたが、マイクを受け取り、喋り始めました。しかし、前夜からいくら考えても、私にはとくに喋ることはなかったので、前夜から考えていた通り、自己紹介をしました。自己紹介が終わったら、好きな歌でも歌っているしかないなーと思っていて、モーリーが止めなければ、それを何度もリピートしようと考えていました。
しかし、モーリーが止める前に、私はスーツを着た数人のスタッフに取り押さえられました。最初は中年のスタッフがゆっくりと説得するように、「皆は君の話を聞きに来たんじゃないんだから」と言いながら、マイクを返すようにと手を出しました。これはおかしな話で、マイクを私に渡したのは他ならぬみんなのモーリーだったので、私はその中年のスタッフにはマイクを渡そうとは思いませんでした。するといつしか2,3人の別の人間が近くに来ていて、私の体を掴んでいました。そしてこれも不思議な事に、なぜかマイクだけは取ろうとしないので、私はそれを口許に近付け、「別に殺しに来たんじゃないよ」と言いました。会場はウケました(多分)。しかしスタッフたちはウケませんでした(当然)。私は肩と足を別々に持ち上げられ、半ば胴上げされるような形で、宙に浮かびました。これではかえって目立ってしまい、事態は収拾とは逆へ向かうのに、とは思いましたが、面白いので体を宙に持ち上げられたままバタバタと軽くおどけてみせると、会場はさらにウケました。写真を撮った人もいました。といっても勿論、私は自分のしたことが会場に受け入れられたのだと思っているわけではありません。ただ、中にはその状況を楽しんだ人もいた、ということです。
気が付くと、モーリーは会場の隅へ避難していました。私はおかしいな、と思いました。貴方が呼んだんだよ、と思いました。貴方が何でも出来るんだ、と教えてくれたんじゃないかと思いました。しかし彼は助けようとはしてくれませんでした。面白かったよ、ありがとう、また次を楽しみにしているよ、と私は彼に言って欲しかった。私がしたことは単に、約束のないタイミングで彼に握手を求めたというだけのことでしたが、それはどうやら「怖い」ことであるようでした。勿論、逆の立場であれば、私も驚いたでしょう。嫌だな、とさえ思ったかもしれません。でも、貴方が呼んだんだよ、と私は思った。
もういいや、と私は思って、宙吊り遊びから体を離し、マイクを返し(誰に返したのかは憶えていない)、席に戻りました。そこから「貴方に会いに来たんだよ」と言いました。「話がしたくて来たんだよ」と言いました。それはその場で思いついた嘘でしたが、でももう少し会っていたいなと思ったのでそう言いました。彼は、「OK,後で話そう」と言いました。そしてひとり言のように「こういうのを、頭のどこかでは待っていたかもしれない」と続けました。それで私は嬉しくなって、「そうだと思って来たんだよ」と、やはり席から言いました。それを聞いて彼は、「もう黙ってくれないと、後で話さないよ」と言いました。私はそれから最後までひと言も喋りませんでした。
私は最初に席を立ち上がる前、モーリーが喋り始めて1分もしないその頃、何度も「まだ引き返せる」と思いました。今なら、他の普通の客たちと同じように彼のお喋りを楽しく聞いて、いつものように家に帰り、普通の日々を普通に過ごす生活に帰れるのだ、と思いました。でも同時に、「今を逃したら、もう新しい日には帰れない」とも思いました。私の前には、ひとつの扉が開きかけていました。向こうに何があるのかはわかりません。それを開けるのは、とても怖いです。開けなければ安全で、これまでに見知った時間を味わえる保証があります。
私は、人生を考えました。長いのか、短いのかわからない私の人生。それが終わる時のことを考えました。「お前の人生すべての中で、お前が一番頑張ったのはいつだったかい?」と私は訊ねます。もし私がそこで席を立てば(そしてモーリーのもとへ歩いていけば)、それは「今だよ」と答えられる。私は、その時座席から立ち上がることが、一生に残る大きな記念になると、そしてその後を生きる自分自身に語り継いでいくだけの価値を持つと、思いました。
どうしてそれだけの「価値」を持つと考えたのかといえば、それは私が自らの意志で、「事前に頭で想像したことを、目の前にある現実に移植する」初めての機会だったからです。というのも、これは実際にやってみないことにはわからないかもしれませんが、多くの頭の中で生じることは、現実にはあまり起こらないのです。ましてや、自らの意志と行動でそれを実現するということに至っては、ほとんどないと言って良いでしょう。なぜなら、それらは別々に進行し、それぞれで完結していく性質を持っているからです。そして、性質に沿って物事を進める事は、体も気持もラクなのです。だから、私の頭の中では「やめろ」という声が何度も聞こえました。それを言うのは私です。「行こう」と言って扉を開けようとするのも、「やめろ」と言ってラクな世界像を必至に目の前に提示するのも、どちらも私で、私はその葛藤をしばらく味わいました。その末にようやく、ここで立ち上がれば、そのことを今後生きて行く中で誇りに出来る、自分自身に対して自信を持つ拠り所に出来るはずだ、と考えました。ここでのたったひとつの頑張りが、きっと今後生きて行くすべての自分を照らす光、道標、灯台の明かりになると思いました。そうして私は、ラクではなく、安全でもないその「事前に頭で想像したことを、目の前にある現実に移植する」行為を、遂行しました。
トークショーが終わると、私は当然、モーリーが自分を呼びにやって来るだろうと思いました。直接やっては来なくても、ステージから何か呼びかけるか、それもなかったとしても、外で待っているかしてくれるだろうと。しかし、彼はライブの終わりを宣言して拍手に包まれると、それが止むのも待たずに客席の脇の階段を、急ぎ足と言っても良いぐらいのスピードで上がり、出口へと向かいました。私は、「あ、逃げるんだな」と思いました。実はその時点でも、私は自分にとって一番大事なことが「”やめろ”という声を断ち切って椅子を立ってモーリーの前に行く」ということだと自覚していたので、別にその後も彼と話したいとか会いたいとか熱望していたわけではありませんでしたが(どうでも良い、ということではなく、一番重要なことではない、という意味で)、しかし彼が逃げるのならその様も見ておきたくて、後をついて急ぎ足で場内の階段を上りました。明るいロビーに出ると、モーリーは地上へ向かう階段へ差し掛かっていて、その時には急ぎ足ではなく、走って、駆け上がっていました。私はそれも追いかけました。もう彼に声をかけるには離れ過ぎていましたし、話したいとも思っていませんでしたが、そうしないではいられなかったのです。階段を上がり始めると地味な服装のスタッフが慌てて付いて来て、「落ち着いて、落ち着いて」と、何だかとても困ったような様子で息を切らせながら言いました。地上に出ると外はすっかり暗くなっていて、目の前の車がエンジンをかけて走り出すところでした。それを見送って、荷物を忘れずに持って来ていることを確認して私は、そのまま駅へ向かって歩きました。BOX東中野の入口を振り返ると、私を追ってきた数人のスタッフがスーツ姿でこちらを見ていました。もう、10年も前の話です。