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もっすご寒い。
インターギャラクティック・ソニック・セヴンズ ?アッシュ・ベスト1992-2002?
ASHのベストをまだ聴いてます。2枚組み45曲とかで、内容も素晴らしいのだけど唯一このアニメジャケは何とかならなかったのだろうか。ちょっとお手軽すぎやしないか。或いは何かしらの意味が込められているのだろうか。
レポートの註釈はちょっと置いといて、東大講義を再開してしまう。詳細は改めて。友人が作った曲を周りの人間が尽力してCDにしているのだが、そのライナーを書くことに。いつまでだろう、締切り。それこそ2枚組みで、こっちは25曲だがそれでも多い。全曲解説したい気もするが、それより別の文脈で進めたほうがよいだろうか。
註釈に関しては、それもライナー同様、内容に関わりながら僕自身のバックグラウンドや掴むべき大いなるイメージみたいのをしっかり掴んでおかないと意味がないので、それを忘れないようにしなくては。一番大事なことは、忘れやすい。
註釈の書き方としてまず一つあるのは、出演者とお客さんの架け橋となるように書くということで、「ああ、これって多分あれについて言ってるけど、それを知らない人にはわかりづらいかもしれないから、こうやって言い換えてみよう」という、”何も知らない人”の立場というのを架空した上で書いてみるということで、もうひとつは、ひとつひとつのトピックに対して個人的にどう思ったか、「ああ、それについては僕はこう考えましたよ」なんてことを、なるべく僕個人に引き寄せてお伝えしてみるというものだ。
前者における”何も知らない人”というのはしかし、僕が何でも知ってる人で、そのレベルを下げるとかそういったことではない。それは、僕が何も知らないということを思い出す、といういことだ。僕は何も知らない、何も知らない、そんな僕に彼らは何を伝えようとしているのだろう、と、なるべくフラットな気持でその交流を思うのだ。
後者においては話はもっとシンプルで、僕というひとつの世界を、イベント中に挙がった各トピックを発信点としてどこまでも深く探っては提示してみることを繰り返すのみである。
で、それを毎日やらなきゃいけないのだけど、それらはいずれにせよ海の底へ潜って何かを掘り出してまた水面へ上がるということの繰り返しのようなもので、大変苦しいのであんまり進んでやる気にはならず、嫌だというのではなくてただ遊びとはやはり違うのでそれがちょっと困る。

1109

註釈まったく進まず。ネタをここに少しずつでも進めていこうと思ってたけどもうネタ起こしてる場合じゃないというか他にも締め切りものが多くてそれどころじゃない雰囲気だ。
なのに家の掃除とかしてる。今日はこのまま掃除する予定。
内田樹さんのブログを今さらながら良く見ていて面白い。

1108

あ、気が付けば昨日エントリーしてなかったんだ。毎日書こうと思ってたので残念。というかなんか編集画面変わってるな・・・面白いなどんどん変わって。でも最初は馴れないね。前のが使いやすかったような気もするけどそう言うのは簡単で、しかも退屈なのでひとりゴチということにしておこう。
昨日は友人の家でいろいろ作業。あ、そんな日乗はメインのブログに書きゃいいのだ。何を書くんだっけ、そうだ、レポートのネタになるようなことを書くのだった。ともかく昨日エントリーしなかったのはここだけじゃなくて、レポート自体も全く進める事が出来なかったのだけど、その他にもあれこれやることが重なってあーちょっと追いつめられつつあるぞ実は。
こういう時は、計画表を作ってモチベーションを高めなければ。そうしよう。
関係ないけど、リンク・キーワードのスコアを0以上に設定してみた。あらゆるキーワードを拒みません、というか。

二十歳の躁

昔々あるところに、私がいました。
私は予備校生で、もう2浪でした。20になってもまだ大学生になれないで、かといって別の道を模索するでもなく、両親の援助を受けて日々油絵を描きながら、なぜだかある日、躁に入りました。といっても、病気というほど大きな症状もなく、これといって他人に迷惑をかけるのでもなく、考えようによっては「ただ幸せなだけ」の状態で、実際私はそう思っていました。どうしてそうなったのか、いろいろな理由が考えられましたが、中でもわかりやすいもののひとつに、モーリー・ロバートソンのラジオを聴いたことがありました。モーリーの繰り出す様々な発言はどれも結局のところ、「何でも出来るんだ」ということを言っているようで、20の多感な私はそれに身も心も浸っていたようでした。
ある夜いつものようにモーリーのラジオを聴いていると、こんな話がされました(大意)。

来る1995年9月2日、BOX東中野トーク・ライブを行います。君たちが来るのを、僕は待っている。

私は自分が呼ばれているのだと思いました。そして、何もかもぶち壊してあげよう、と思いました。勿論、誰かを傷つけるということではありません。でも何らかの形で私はモーリーと直接的なコンタクトを取れると感じましたし、それはモーリーが少なからず驚くような仕方で成されるべきだと考えました。
当日、私は雪駄を履いて会場へ向かいました。随分早く着いたつもりでしたが、地下にある受付からは既に待っている人の行列が伸びていて、私もその最後尾へ並びました。とても暑い日で、階段に座って待つのも、すぐ側に並んでいる肥った人の匂いも不快でしたが、モーリーと出会い、また彼を驚かせることを思えば苦痛は和らぎました。それはケネス・アンガーの特集上映で、トーク・ライブは最終上映後に行われることになっていました。開場と同時に私は最前列の席に飛び込みました。とても良い席が取れたと思いました。上映が始まり、上映が終わると、改めてトークだけを聞きにきた客が入ってきました。ほどなく席は埋まり、特設席として、私の座る最前列席の前にさらに2列、座布団が敷かれました。私は不安になりました。”出来るだろうか”と思いました。ケネス・アンガーが何をしたかったのかはわかりませんでした。
しばらくすると、ドトールカップを持ったモーリーが入ってきました。私は興奮しました。彼は喋り始めました。「近くにドトールがあれば、どこへでも喋りに行く」と言いました。本題に入る前に、それは成されなければならないと思い、皆がひと言もその言葉を聞き漏らすまいと会場を静寂に染める中、私は席を立ち、前2列の座布団に座る人々をかき分けて歩き、モーリーの前に立ちました。座布団に座る人たちは、私をスタッフか何かだと思ったかもしれません。
私は何も、煮えたぎった味噌汁を彼の頭からかけるとか、自作のノイズ・ミュージックを突然演奏するとか、ドラゴン(花火)に火をつけるとか、そんな奇抜なことをしようと思ったわけではなく、ただ彼と握手をしたかったのです。ただその環境として、終演後などの言わば”オフの状況”は相応しくないと考えました。それは、奇抜な状況におけるノーマルな申し出としてなければならなかったし、そうでなければ面白く(相応しく)なかったのです。そしてその為に私は、正にそのライブの最中に彼の前に立ち、無言で手を差し出したのでした。
彼は一瞬驚いた様子でしたが、握手に応じ、持っていたマイクまで差し出しました。それは私の予想していたことだったので、大変緊張しましたが、マイクを受け取り、喋り始めました。しかし、前夜からいくら考えても、私にはとくに喋ることはなかったので、前夜から考えていた通り、自己紹介をしました。自己紹介が終わったら、好きな歌でも歌っているしかないなーと思っていて、モーリーが止めなければ、それを何度もリピートしようと考えていました。
しかし、モーリーが止める前に、私はスーツを着た数人のスタッフに取り押さえられました。最初は中年のスタッフがゆっくりと説得するように、「皆は君の話を聞きに来たんじゃないんだから」と言いながら、マイクを返すようにと手を出しました。これはおかしな話で、マイクを私に渡したのは他ならぬみんなのモーリーだったので、私はその中年のスタッフにはマイクを渡そうとは思いませんでした。するといつしか2,3人の別の人間が近くに来ていて、私の体を掴んでいました。そしてこれも不思議な事に、なぜかマイクだけは取ろうとしないので、私はそれを口許に近付け、「別に殺しに来たんじゃないよ」と言いました。会場はウケました(多分)。しかしスタッフたちはウケませんでした(当然)。私は肩と足を別々に持ち上げられ、半ば胴上げされるような形で、宙に浮かびました。これではかえって目立ってしまい、事態は収拾とは逆へ向かうのに、とは思いましたが、面白いので体を宙に持ち上げられたままバタバタと軽くおどけてみせると、会場はさらにウケました。写真を撮った人もいました。といっても勿論、私は自分のしたことが会場に受け入れられたのだと思っているわけではありません。ただ、中にはその状況を楽しんだ人もいた、ということです。
気が付くと、モーリーは会場の隅へ避難していました。私はおかしいな、と思いました。貴方が呼んだんだよ、と思いました。貴方が何でも出来るんだ、と教えてくれたんじゃないかと思いました。しかし彼は助けようとはしてくれませんでした。面白かったよ、ありがとう、また次を楽しみにしているよ、と私は彼に言って欲しかった。私がしたことは単に、約束のないタイミングで彼に握手を求めたというだけのことでしたが、それはどうやら「怖い」ことであるようでした。勿論、逆の立場であれば、私も驚いたでしょう。嫌だな、とさえ思ったかもしれません。でも、貴方が呼んだんだよ、と私は思った。
もういいや、と私は思って、宙吊り遊びから体を離し、マイクを返し(誰に返したのかは憶えていない)、席に戻りました。そこから「貴方に会いに来たんだよ」と言いました。「話がしたくて来たんだよ」と言いました。それはその場で思いついた嘘でしたが、でももう少し会っていたいなと思ったのでそう言いました。彼は、「OK,後で話そう」と言いました。そしてひとり言のように「こういうのを、頭のどこかでは待っていたかもしれない」と続けました。それで私は嬉しくなって、「そうだと思って来たんだよ」と、やはり席から言いました。それを聞いて彼は、「もう黙ってくれないと、後で話さないよ」と言いました。私はそれから最後までひと言も喋りませんでした。
私は最初に席を立ち上がる前、モーリーが喋り始めて1分もしないその頃、何度も「まだ引き返せる」と思いました。今なら、他の普通の客たちと同じように彼のお喋りを楽しく聞いて、いつものように家に帰り、普通の日々を普通に過ごす生活に帰れるのだ、と思いました。でも同時に、「今を逃したら、もう新しい日には帰れない」とも思いました。私の前には、ひとつの扉が開きかけていました。向こうに何があるのかはわかりません。それを開けるのは、とても怖いです。開けなければ安全で、これまでに見知った時間を味わえる保証があります。
私は、人生を考えました。長いのか、短いのかわからない私の人生。それが終わる時のことを考えました。「お前の人生すべての中で、お前が一番頑張ったのはいつだったかい?」と私は訊ねます。もし私がそこで席を立てば(そしてモーリーのもとへ歩いていけば)、それは「今だよ」と答えられる。私は、その時座席から立ち上がることが、一生に残る大きな記念になると、そしてその後を生きる自分自身に語り継いでいくだけの価値を持つと、思いました。
どうしてそれだけの「価値」を持つと考えたのかといえば、それは私が自らの意志で、「事前に頭で想像したことを、目の前にある現実に移植する」初めての機会だったからです。というのも、これは実際にやってみないことにはわからないかもしれませんが、多くの頭の中で生じることは、現実にはあまり起こらないのです。ましてや、自らの意志と行動でそれを実現するということに至っては、ほとんどないと言って良いでしょう。なぜなら、それらは別々に進行し、それぞれで完結していく性質を持っているからです。そして、性質に沿って物事を進める事は、体も気持もラクなのです。だから、私の頭の中では「やめろ」という声が何度も聞こえました。それを言うのは私です。「行こう」と言って扉を開けようとするのも、「やめろ」と言ってラクな世界像を必至に目の前に提示するのも、どちらも私で、私はその葛藤をしばらく味わいました。その末にようやく、ここで立ち上がれば、そのことを今後生きて行く中で誇りに出来る、自分自身に対して自信を持つ拠り所に出来るはずだ、と考えました。ここでのたったひとつの頑張りが、きっと今後生きて行くすべての自分を照らす光、道標、灯台の明かりになると思いました。そうして私は、ラクではなく、安全でもないその「事前に頭で想像したことを、目の前にある現実に移植する」行為を、遂行しました。
トークショーが終わると、私は当然、モーリーが自分を呼びにやって来るだろうと思いました。直接やっては来なくても、ステージから何か呼びかけるか、それもなかったとしても、外で待っているかしてくれるだろうと。しかし、彼はライブの終わりを宣言して拍手に包まれると、それが止むのも待たずに客席の脇の階段を、急ぎ足と言っても良いぐらいのスピードで上がり、出口へと向かいました。私は、「あ、逃げるんだな」と思いました。実はその時点でも、私は自分にとって一番大事なことが「”やめろ”という声を断ち切って椅子を立ってモーリーの前に行く」ということだと自覚していたので、別にその後も彼と話したいとか会いたいとか熱望していたわけではありませんでしたが(どうでも良い、ということではなく、一番重要なことではない、という意味で)、しかし彼が逃げるのならその様も見ておきたくて、後をついて急ぎ足で場内の階段を上りました。明るいロビーに出ると、モーリーは地上へ向かう階段へ差し掛かっていて、その時には急ぎ足ではなく、走って、駆け上がっていました。私はそれも追いかけました。もう彼に声をかけるには離れ過ぎていましたし、話したいとも思っていませんでしたが、そうしないではいられなかったのです。階段を上がり始めると地味な服装のスタッフが慌てて付いて来て、「落ち着いて、落ち着いて」と、何だかとても困ったような様子で息を切らせながら言いました。地上に出ると外はすっかり暗くなっていて、目の前の車がエンジンをかけて走り出すところでした。それを見送って、荷物を忘れずに持って来ていることを確認して私は、そのまま駅へ向かって歩きました。BOX東中野の入口を振り返ると、私を追ってきた数人のスタッフがスーツ姿でこちらを見ていました。もう、10年も前の話です。

ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫)糸井重里の「ほぼ日http://www.1101.com/」トップの『今日のダーリン』は毎日毎日間違いなく更新されていてしかも毎度それなりに面白いので凄い。そこらのブロガーではまず太刀打ちできない凄さだと思う。一言に「凄さ」と言っても何のことだが自分でもわからないが、いろいろな意味で凄いので「凄さ」と言ってしまいたい。でも敢えて言えば、1)まず読みやすくって、2)どんな小さなことでもいいが何か新たな発見・情報を読み手に提示している、という面白さだろうか。
今日は昨日と似ていて昨日じゃない。と歌ったのはスチャダラパーだろうか。スチャダラはロッキン・オン・ジャパンのロックT-shirt写真(恒例の、ヒロミックスが撮るやつ)を「僕らがやってるのはヒップホップでロックじゃないから」と断ったから「歌う」というのは違うだろうか。ともあれ今日は昨日じゃないってことだ。毎日毎日、誰に頼まれているわけでもないのに馴染みのブログをつい閲覧してしまうのは、今日が昨日じゃないって事を確認して安心したいからじゃないだろうか。勿論、そこで書かれている事が(たとえ毎日の更新であろうと)酷く滅入る内容ばかりでは駄目で、要は気持をリフレッシュしたいということなのだから、まずは1)たった数行でも更新されていて尚且つ、2)ちょっと気の利いたことが書いてある、ということがその際には大切なのだ。そうだな、その上さらに面白そうな本や音楽が紹介されていて、読み手の世界が広がるような可能性を夢見させて、さらにさらにその見栄えがカッコよくて読んでいるだけで自分もカッコよくなってしまっているようなやはり夢を見させてくれるものだとより良いかもしれない。
シネマ坊主2最近読んでいる松本人志著『シネマ坊主2』の中で著者はライアン・オニールの『ペーパー・ムーン』を絶賛しているのだけれど、そこで彼が言うのは

 本来、映画とは『ペーパー・ムーン』みたいなものであるべきだと思うんです。つまり、2時間の上映時間の間、時間を忘れて本当にいい気持になって、見終わったあと、見る前よりも気分が高揚したり、穏やかになったり、いい方向で変化をもたらしてくれるもの。見たことで、いい時間を手に入れたと思わせるものじゃないといけない。

ということで、これはウッディ・アレンの『カイロの紫のバラ』の冒頭で提示される、ミア・ファローが映画に求めているものと同じだ。
限られた結構酷いこの世界で、人は、というか僕は夢を見る必要がある。鬱屈した日々と、本当はそれほど嫌な奴ではない誰かを想像の中で真っ黒な悪魔として仕立ててしまう負の想像力に恵まれその効能に彩られた自分の素晴らしく渇いた世界を少しでも潤したくて僕はなんかそういうのを見るし、それを叶える糸井重里は凄い。

冬季オリンピックのスキー・ジャンプ競技で、飛び出してから着地するまでのフラフラした数秒間。それが人生なのだとしたら、その限られた時間にやったやられた・ついた離れたと騒ぎ怒り憎しみ過ごすなんて何だか滑稽だ。下北もハルとナツもメガネ男子もそんな苛立つことじゃないよ、どうでもいいじゃないか。本分を見つけやり遂げろよ、と思う。でも人生がそんな一瞬だなんてこと、飛んでる間にはどうしても忘れていて、今の自分の姿勢はどうかとかどこまで飛べるかだとかその時のことしか考えられないのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
The Essential Sounds From The Far East交通事故は毎日起こるが、そしてそれで人は毎日死ぬが、それはTVの向こうのフィクションでしかなかったと、そのことに気付かずにいたことに気付く。一夜にして巨大な女性が二人亡くなった翌日に。
註釈はなかなか進まないな。当たり前だ下地仕事ばかりしているのだから。それにしても僕が作らなければならないのは、まず第一にこうした「下地」であるのと同時に、それとは別の、何というか美しくありうる形を導く大いなるイメージのようなものであるのだと思うのだが、それには全然手をつけられないでいる。というか、手をつけているつもりなのだが全然届いてない印象。或いはこうした振り返る作業の先にもそれはあるのかもしれないが、そうして思い返すだけではやはり時間がかかりすぎるだろう。常にそのイメージを思い描こうとしていなければならない。常にそのイメージを。
美しくあり、斬新であり、かつてのものを壊したもの。それを導くイメージの像。それはきっと下地やバック・グラウンドといった言い方では言い切れていない何かで、大事なのはそれなのだ。それは多くの人と共有できるものかもしれないし(時代を超えて尚)、また一個人における複数の作品の内に共通してあり得るものでもあるかもしれない。イメージ。それを想像しながら作業は常に成されなければならない。

1105註釈

mog1032005-11-05

怒ってる。
オジサンたちは怒ってる。総じて40ぐらいの人が怒ってる。
星野智幸さんは、「ハルとナツ」の盗作問題について、自身のサイト内「2005年10月2日(日曜)の日記 http://www.hoshinot.jp/diary.html」あたりで怒ってる。
仲俣暁生さんは、下北再開発の問題について、「下北沢再開発を考えるページ http://www.big.or.jp/~solar/shimokitazawa.html」あたりで怒ってる。
菊地さんもインターネット病のことで怒ってたなあ。
といっても、何も彼らは目くじらを立てて手当たり次第に自分のストレスをぶっつけているというのではない。なんだか半ば呆れていると言うか、呆れながらもちょっとさすがに、という感じで訴えているような雰囲気だ。
そうした様子を見て僕が思うのは、どうやら大体40ぐらいまで真っ当に生きていると、ちゃんと怒れるようになるのかなっていうことで、もう少し言うと、「クールに行こうよ、冷静になれよ」的な、「冷静なほど立場が上」的な気運がそのぐらいになると有効期限切れというか、「怒るときは怒るよ」的なモードに入れるのかなということである。
勿論、20や30で怒ってる(異議申し立てをしてる)人たちも多くいるのだろうけど、例えば僕なんかだと周りを見て「うわ、あれひでーなー」とか思っても「まあ、僕はあーならないように頑張ろう」とか「・・・でも、そういうもんじゃん?」とか思いがちだし、それが殊更悪いことだとも思っていない。そんな僕のような姿勢に至るには、ただ闇雲に頭に血を上げて「怒ってる俺って気持良い」という、いわば怒り中毒に浸ってしまう主に若い困った人なんかを見たり実際に困らされたりした経緯があってのことだが、あんまりそうはならずに所謂バランス感覚を保ったままガッツリ怒るというか、適切な異議申し立てができるようになるまでには、そうやって月日が必要なのかしらとか思うのである。
というのはしかしただ、「あー、怒ってる人が丁度みんな同じぐらいの年齢だなあ」と思ったから徒然に想像しただけで、僕はハルとナツについても下北計画についてもメガネ男子についてもよく知らない。